「地点」という新しい地点~ Theatre E9 Kyoto でのTMP・HM上演に寄せて
谷川道子
谷川道子ブログより転載
http://tanigawamichiko.hatenablog.com/entry/2019/07/03/155338
日本にも遂にこういう演劇集団が登場したのかと、いつだったか感じ入った。どう新しいか。媚びないのである。観客に対して「わかって下さい」などと媚びない、退かない。だってこれが「演劇」なのだから。その点で彼らは本気の確信犯である。だからと言って、「わからない」と独り言ちて帰る観客を、ただ放り出すわけではない。しかし、へたな弁解の解説をするわけでもない。
「カルチベート・プログラム」
年度によるが、「カルチベート・プログラム」というのが開催される。例えば2014年度は、2013年に自前で作った(けっこう格好いい)アトリエ「アンダースロー」で上演される合計6本の公演と3回のレクチャーをすべて無料で受けて、終了後にのちに冊子として刊行される報告エッセイを提出するという企画。定員40名の参加者は募集。私自身は参加したことはないが、この報告集を読むのは、実に面白く楽しい。自称演劇研究者の訳知り顔の文言ではなく、殆ど観劇体験のない若者が(?)、必死で(無料ほど苦労は高くつく?)自分の言葉で観劇体験を身近な人に語り掛けようとしている文章が面白くないはずがない。おまけに「カルチベート(耕す)チケット」というのもあって、より多くの観客に広がるように余分の切符代を観客がカンパする制度である。常設レパートリーシアターである「地点」(基本定額3000円)の観客は、リピーターも多く、今は定員40名がいつもほぼ満員だという。のみならず、提携する大きな横浜KAAT神奈川芸術劇場での「地点」公演も、新人松原俊太郎の戯曲『山山』(2019年度岸田戯曲賞受賞!)でも、客席はほぼ全員が若い観客であることに、老輩の私は驚いたものだ。これが報告冊子に謳う太宰治の「真にカルチベートされた人間」だろうか! 実例をひとつ。「カルチベート・プログラム2014報告エッセイ集」の中から――「なにか外に出る機会がないかと探しておりましたら〈地点〉〈空間現代〉〈ファッツアー〉という固有名詞を目にしましてね。「…」これは行くしかない、重い腰を引きづって赤いビロードの洒落た椅子に座って観終わったらもうものすごかった。打ちのめされてそのあと三度観に行きました。これからも観続けます。これが初演劇だったのは不幸中の幸いでした。「…」『ファッツアー』は、まずはわけが分からない。圧倒されます。20世紀前半に書かれたこの戯曲が「アクチュアル」になってしまう現代がどうかしているのでしょう。…『ファッツアー』を観ていて退屈するなんてことは、相当な平和ボケでない限りあり得ないでしょう。…」これを書いたのが、岸田戯曲賞を今年貰った松原俊太郎氏である。カルチベート…?
つい制度から語ってしまったが、全体を貫くこういう姿勢こそが「地点」というプロ劇団の新地点だからだ。新しくないはずがない。彼らがめざすのは、近代劇を乗り越えた現代演劇が、日本の観客に根づくことなのだろう。
「地点」と三浦基と太田省吾
「地点」を率いる三浦基氏に会ったのは、たしか2001年のベルリンだった。ベルリン在住の旧友、ミヒャエル・ヘルターと河合純枝夫妻から、「今日面白い日本人青年に会うから一緒に」と誘われた。ミヒャエルは、ベケットで博士号を取り、ベルリンでのベケット自身の『ゴドー』初演出を助手としてもサポートし、その後に「68年世代」として、旧病院を改築したベターニエン芸術家会館を創立し、諸ジャンルを横断した東欧・アジア圏などの芸術家との交流の場として主宰し、美術評論家の純枝さんと日本の『BUTOH舞踏』を紹介したり、太田省吾の沈黙劇『風の駅』をベルリン招聘したりした中心人物だ。一方、三浦さんは文化庁派遣で青年団からパリに滞在中。フランス語と日独語のクロスで、主な話題は、たしかベケットの話と、純枝さんが気に入って邦訳していたノルウエーの劇作家ヨン・フォッセのこと。その頃「21世紀のベケット」とか「イプセンの再来」として注目され始めていて、私も京都の太田さん宅で、純枝さんから日本で上演できないかと送ってきたという邦訳台本を手渡されてもいた。この出会いから生まれたのが、2004年の太田省吾と三浦基の競演出のヨン・フォッセ上演シリーズだ。「地点」の根っこには、演劇の可能性を極大・極小に自在化したベケットも存在しているのだろう。太田省吾氏も自作以外に演出したのはベケットとフォッセだけだったが、2007年に無念にも他界…。ちなみに「地点」は2005年に青年団(平田オリザ氏に〈自立〉を学んだと聞く!)から独立して拠点を京都に移して活動を本格化、2007年から〈チェーホフ四大戯曲上演〉シリーズに取り組んだのも太田省吾の遺言を受けてのことだったというが、高い評価を得て、それらもロシア各地で招聘公演を果たしている。フォッセの『だれか、来る』も太田氏から引き継いでアトリエ「アンダースロー」でのレパートリーにし、2019年9月にはノルウェー・オスロに招聘されることになっている。どういうわけか、ご縁は続く。
「地点」とドイツ演劇~まずはイェリネクから
私の専門領域であるドイツ演劇と「地点」の関係について記させていただく。2004年のフォッセを観て、2007年の太田さんの逝去をはさんで以降、定年退職やクモ膜下手術等々で、連絡やDVDは頂きながら観劇の機会を逃していたが、地点イェリネクの第一弾『光のない。』は何とか観ることができた。フクシマ原発事故を受けての2012年秋の国際演劇祭F/T(フェスティバル/トーキョー)は、「言葉の彼方へ」とイェリネクを特集テーマに、地点は『光のない。』(林立騎訳)を委嘱される。三浦基の演出はテクストの演劇的な核と真正面から向き合った。無限に拡散する光/放射能と声にならない死者たちの言葉、メディアを中心に語られる狂騒的な意味不明の多弁…それらがどういう主体によってどう生まれているのかを問いかける。三輪眞弘の作曲と、木津潤平の建築的な舞台美術と、地点メンバーの鍛え抜かれた独自の身体と発声――そういった圧倒的な空間での言葉の強度と声と音と身体の迫力が、負けてなるかと、姿や得体の知れない恐怖と対峙する。この演劇の場で「地点」はイェリネクと出会った、と私は体感した。地点イェリネク第2弾は2016年のKAATでの『スポーツ劇』、第3弾がアンダースローでの2017年の拙訳『汝、気にすることなかれ』と続いた。
イェリネク/ブレヒト/ミュラー
そういった2012年の『光のない。』観劇後に、久しぶりに三浦基氏と再会。せっかちに前向きの彼は讃辞など不要とばかりに、「次は何を上演すればいいですかね」と問いかけてくる。「イェリネクの後は―やはりその前のブレヒトとミュラーはやってほしい、両方一体でなら、『ファッツァー』かな」と私は提案。
ブレヒトが1920年代に、新しい未来形の演劇を模索し始めたのが一連の〈教育劇〉と総称される試みだ。その先に亡命期を通じても未完の膨大な断片群として遺されたのが『ファッツァー』。ミュラーはこのテクストを「ブレヒトの最上のテクスト」、「技術的には最高の水準」「百年に一度の作品」とみなして、膨大な遺稿を取捨選択・再構成して「ブレヒト/ミュラー版」ともいえる『ファッツァー』を完成させ、ハンブルグ劇場の依頼も受けて、1978年に初演されている。70年代はシュタインヴェークらの研究者によってブレヒト演劇における〈教育劇〉再評価の波が到来していたのだが、それを受けた上でかわすかのように、1977年にミュラーが書いたのが「教育劇への決別宣言」だった。
「シュタインヴェーク様。〈教育劇〉についての私たちの対談から第三者にとって役に立ちそうな物をひねり出そうと努めたのですが、気乗りがしなくなりました。挫折です、〈教育劇〉についてはもう何も思いつきません。「…」次の地震が来るまでは、我々は〈教育劇〉と決別するしかない、と思っています。「…」モグラ、あるいは構築的な敗北主義です」。
同じ1977年に『ハムレットマシーンHM』も生まれたのである。『ファッツァー』を挟んで、いわばこの三者は、演劇の可能性の探りとして三位一体だったのではないか。実は未来社の『ハイナー・ミュラー・テクスト集』の第4巻として『ファッツァー』と『指令』と遺作『ゲルマーニア3』を収めて刊行する予定だったのだが、間に合わなかった。
その『ファッツァー』を2013年に、「地点」はアンダースローで、若い津崎正行氏の渾身の邦訳(「舞台芸術」誌所収)によって、「空間現代」のロックの生バンドとあの地点役者たちの声と身体で、強烈な謎かけのパンチとして初演してくれたのだった。それは松原氏のみならず、若い観客たちには謎かけが大受けで、劇団のヒット作となる! しかもこの『ファッツァー』は、2016年に本場ドイツはミュールハイム市での「第5回ファッツァー祭」に正式に招かれて公演し、かつ三浦氏も講演。それらのドキュメント論集も「ミュールハイム・ファッツァー叢書5」の“Not, Lehre, Wirklichkeit(悲惨、教訓、現実)”として、豊富な写真入りで2017年にNeofilsVerlagから刊行されている。モスクワや中国の北京・上海でも招待されて客演したらしい。こういう越境性は快挙だろう。
それだけではない。翌年にはブレヒトの20以上の戯曲や詩から神、金、愛、戦争、芝居というテーマ別に言葉を抜粋したコラージュ劇『ブレヒト売り』まで創って見せた。音楽家の桜井圭介氏との共同作業と言うが、確かにリズミカルな音楽身体演劇でもある。ブレヒト作品のテクストをシャッフルして並べなおし、「買わんかい、ブレヒト!」とガレージ・バーゲンセールならぬ『ブレヒト売り』。なるほど、そうきたか。そう出来るか、それもアリだなと、ブレヒト邦訳者の一人としてシャッポを脱いだ。『ブレヒト売り』も、今年2019年の夏のライプチヒ市立劇場でのブレヒト学会で正式招待公演することになっているという。
これらのアレンジへの契機は、2010年夏のハワイ大学でのブレヒト学会。テーマが「アジアと/のブレヒト」だったので、平田栄一朗、市川明、ヨアヒム・ルケージの各氏らと4人で「日本と/のブレヒト」を発表した際のMC役を引き受けて下さったのがライプチヒ大学のギュンター・ヘーグ教授で、慶応大学の平田栄一朗氏がよろずの仲介役を買って出てくれた成果である。そういうご縁と努力を経由しての、ブレヒト本場への「地点版ブレヒト」の挑戦だ。
新劇場 Theatre E9 KyotoでのTMPと連動の『ハムレットマシーンHM』
この夏も「地点」は地下のアンダースローから下手投げで、ロシア、ノルウェー、ドイツと世界を経めぐって、各地本場の「古典」で勝負を挑み、かつ11月には京都の東九条に夏に新規開場した劇場 Theatre E9 Kyoto で、ついにTMPと連動して『ハムレットマシーンHM』に挑んでくれることになった。売られた挑戦は、何であれ逃げずに本気で買ってくれるのが三浦「地点」だ。下支えするあっぱれな制作者・田嶋結菜氏が居てこそだろう。しかもいつも劇団の共同作業振りはこちらの期待や思い込みを潔く裏切ってくれる。というか、サプライズ的に軽々と想定を超えて見せる。作家の言いたいだろうことに強靭に向かい合って、そのテクストの言葉と本質に正面対決の格闘をする――演劇とは何であり得るかをめぐっての本気のバトルだ。ワクワク・ドキドキ感が「地点」の真骨頂だから、今回も見当はつかない。さて、どんなHMを観せて貰えるだろう。本番でのサプライズを楽しみに! 変わらぬパワーで存分に裏切ってください!
補足の付記…
個人的な思い入れがすぎて冷静な「地点演劇」紹介にはなっていない感があるので、「地点の舞台」についてはTMPのHPに、若手気鋭の演劇評論担当の我らがホープの渋革まろん氏が書いて下さることになっている。三浦基氏自身の演劇論は、9年前の前著『おもしろければOKか? 現代演劇考』(五柳書院)を引き継いだ、第2弾の岩波書店からの最新刊『やっぱり悲劇だった~「わからない」演劇へのオマージュ』を、是非お読みいただきたい。気負いやテレもありつつ正直誠実で、面白い。舞台や稽古の様子や各国での体験や料理…こういう演劇への多面的な開きかたも楽しく、お見事である。
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